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CAREER STORY
キャリアストーリー

斉藤 友洋
企業ファイナンス部 調査役
2006年入行
経済学部卒

学生時代はジャズサークルでアルトサックスを吹いていた。聴衆を魅了するアドリブをライブの場で生み出すには、万全の準備、つまり基礎的なスケール(音階)練習やメンバーたちとの真剣なリハーサルが不可欠と考えていた。それらを力を尽くしてやり抜くことが、納得できるパフォーマンスをもたらすと信じていた。

1年目~2年目

力不足を感じつつ、本店営業部門、九州支店での勤務を経て、再生ファンドへ出向。

最初の配属先は航空会社向けの融資を担当する部署だった。入行当時、他部署の同期はみな、上司や先輩について「温厚かつ優秀な人が多いよね」と言っていた。しかし、自分の能力不足を感じていた私にはそんな感想を抱ける余裕はなかった。私は「人並み以上の努力が必要」という危機感を抱きながら、上司や先輩の背中を必死で追いかけた。それは2年目に異動した九州支店で担当した、地域の中堅・中小企業向けの融資業務でも同様だった。業務に邁進していたある時、当時の支店長は、私に対し「最近仕事はどうだ」とたずねたので、「新しいお客様の開拓などいろいろと取り組んでいるのですが、もっと力を尽くすべきなのではと感じています」と答えると、支店長は「じゃあ、もっと頑張れるところに行ってみるか」と言った。2008年4月、DBJが新たに出資することになった、地元の事業再生ファンドに出向することとなり、私にとって異次元の仕事への扉を開けた。

3年目~5年目

独立系事業再生ファンドに出向。確かにそこは異次元だった。
しかし、多くの貴重な経験を積ませてくれた異次元でもあった。

2008年9月のリーマンショック以降、出向先に持ち込まれる再生案件が急増した。普段なら月に2~3件という数なのに、それが月に20件という水準にまで達した。私も10人ほどの同僚たちといっしょに、夜を日に継いで案件の対応に当たった。私が判断を誤れば数百人、多い場合には1,000人以上もの従業員が行き場を失うのである。それだけではない。破綻した企業の取引先にも倒産の連鎖が及ぶかもしれない。業種によっては地域の生活を支えるライフラインの存亡を左右する案件もあった。そのプレッシャーは半端ではなかったが、逆に「このプレッシャーは再生ファンドへの期待があればこそ感じるもの」そう考えるようにして、私はきわめて前向きな姿勢で、事業再生という仕事に取り組むことができたと思う。再生に取り組んだある会社が軌道に乗った頃、その会社の社長から、「あの支援が無ければわが社は今この世に無かった。我々がここまで来られたのは、再生ファンドと組めたからじゃない。斉藤さん、あなたと一緒に組めたからだ」と言っていただいたのは今でも忘れられない。

6年目~現在

企業ファイナンス部
入行10年目という節目を迎え、案件の発掘、与信判断、交渉などを主体的に担う。

3年間の出向を経て、2011年の4月、私はDBJの企業金融第2部に転じた。東日本大震災の1ヵ月後である。所属した部署が担当するのは電機・部品メーカーで、震災のダメージは他の製造業同様、甚大だった。本業に問題がないお客様が災害を理由に破綻するようなことになってはならない。ここは金融の出番だと私は考え、お客様の置かれている状況に合わせたファイナンス手法を提供するよう努めた。
2014年4月、私は現在の企業ファイナンス部へ異動した。この部の業務は、新しい資金供給手法である事業再生ファイナンスや資本性のファイナンスなどへの取り組みである。銀行から再生ファンドへ職業を転じる人はいても、私のように再生ファンドから銀行の事業再生ファナンスを担当する部署に転じる人間はそうはいないはずだ。この稀有なキャリアから得た知見を活かすことで、私は「ひとかどの人」に近づいていきたい。

これまでのキャリアを振り返って

出向当時、会社更生法の手続きに入った破綻企業から事業部門を切り離して再スタートを切った会社に出資して社外取締役として入り、事業計画や受注・原価管理の仕組み構築などを担当していたことがあった。無事再生を果たして5年程経った先日、受注・原価管理の計算シートの設定を変更したので確認してほしいと、応接室ではなくオフィスに呼ばれて訪ねた。そこには当時自分が構築した仕組みがそのまま残っていた。そこで、「当時斉藤さんが手掛けてくれた考え方や仕組みが、今でも会社の中で生きているんです。本当に感謝しています」と言われた。
金融業においてはお客様からの「信頼」と、課題解決を手伝ってくれるだろうという「期待」の両方があって、ビジネスとして継続するのではないかと感じる。幸いDBJには先人達が築き上げてきた財産もあり、その両方をお客様や、時には利害の対立する交渉相手からも受けていると思う。そして新たな取り組みや挑戦を通じて私たちの世代がこの財産をさらに積み上げていく必要がある。

DBJに入行した時、私は専門的な知識・スキルを磨いて、10年をめどに特定の分野における「ひとかどの人」になりたいと考えていた。幸い、事業再生という分野では、いくつかの貴重な経験を積ませてもらっていると思う。しかしまだ壁は高い。各分野でスタープレイヤーと目されている「ひとかどの人」が、DBJにはそれこそゴロゴロいる。今後も自分の挑戦を続けていくとともに、これまで自分が機会を与えてもらったように、後輩にも顧客の信頼と期待に応えるような業務を経験させ、彼らが成長する手伝いが少しでもできたらと思う。