
医学・医療・医業の3つが重なり合い
持続ある地域医療体制の確立を
社会医療法人蘇西厚生会 松波総合病院
理事長 医学博士 松波 英寿 先生
中部地方の濃尾平野を流れる木曽川に面した岐阜県羽島郡笠松町は、古くから交通の要衝として栄えてきた。その地域の住民に長年にわたり、安全で質の高い医療や福祉を提供してきたのが松波総合病院だ。運営を担う社会医療法人蘇西厚生会は、高度な医療機能の提供と防災及び事業継続に対する優れた取り組みが評価され、2025年6月に「DBJビジョナリーホスピタル」の認定を取得している。地域医療の持続性が全国的な課題となる中、複数の機関との連携推進法人を立ち上げるなど、未来に向けた医療体制づくりにおいても先駆的だ。地域中核の医療法人として、どのような思いや考えで貢献されようとしているのか。社会医療法人蘇西厚生会 松波総合病院の理事長で医学博士である松波英寿先生にお話を伺った。
文化や責務を受け継ぐことこそ真の財産
松波総合病院は、明治35年(1902年)に松波病院として開業し、120年以上の歴史を有しています。
江戸時代は参勤交代の宿場町として栄えた岐阜県加納町(現・岐阜市)に、私の曽祖父である松波英太郎が岐阜県で2番目となる病院を開業しました。その後、曽祖父から祖父、父、私、そして私の息子も代々医者の仕事を続けてきたわけですが、私たちの事業継続において一番大切なことは、世代を超えて医者になることです。病院は命の危機にある人を助けなければならない存在だからこそ、文化や責務を受け継ぐことが重要で、それこそ真の財産と考えています。 私自身、生体肝移植手術を民間病院として日本で初めて成功させ、弟である松波和寿院長は産婦人科医として、岐阜県で初めて体外受精を行いました。常に新しいことにチャレンジするのはファミリーの資質とも言えます。
曽祖父が病院を開業する前の松波家は宿場で今で言うところの旅館業を営んでいたのですが、 曽祖父が京都大学の前身である第三高等中学校で西洋医学を学んだ一期生として留学していたドイツの大学に、縁あって私が訪れた際、残されていた曽祖父の登録書類を見て驚きました。曽祖父の父親の職業欄には「ドクター(医者)」と書かれていたのです。宿場というのは自然、衰弱した旅人を介護する場所でもありました。もしかしたら松波家は曽祖父が病院を開業する遥か昔から広義の医療従事者であったと言えるのかもしれません。
長い歴史においては、時代の動きに即して変化が求められるタイミングもあったのではないかと思われます。
いくつもの危機を経て、今があると思っています。日清日露戦争の時代は、国の存亡の危機から病院への投資が減少し、公立病院がどんどん減っていった一方で、 第二次世界大戦に入ると戦時下の強力な国家統制下、松波病院も国の日本医療団に接収され、同医療団岐阜県支部としての笠松病院となりました。終戦後は物資も乏しく、カーテンを煮沸してガーゼや包帯にし、繰り返し使っていました。今ではありえない状況です。笠松病院は木曽川を渡る舟橋を通じて愛知からの多くの引揚者が岐阜に向かう道中にあるため、多くの負傷者が訪れ医療は逼迫します。農家出身の祖母のつてで米や野菜を調達し、病院で炊き出しを行いました。接収された笠松病院を、また買い取るという理不尽な選択を余儀なくされ、松波病院は復活します。ただ、戦後になっても危機は訪れます。1980年代には病院を増設し病床数を増やしたのですが、規模に見合ったスタッフが集められず大きな債務を負った時期がありました。最近では特措法上、国からの要請を受けて新型コロナウイルスの感染患者の受け入れのための病棟の再編や治験のための特殊施設の設置を迫られました。ただ新型コロナに関しては、堂々と受け入れを表明していたことが、地域からの信頼の獲得に寄与したと思っています。今後は、少子高齢化の中で地域医療を提供し続ける体制づくりが求められますが、医療従事者として、そして経営者として、変化を恐れず時代の動きに対応し、松波総合病院を後世に受け継いでいきたいと考えております。
社会医療法人として、医療や介護の面でどのような特色を打ち出されているのですか。
医療では、特に救急とがん診療に力を注いでいます。高血圧や糖尿病といった慢性疾患の診療も大事ですが、救急とがん診療はいずれも生命の維持に直結し、一刻を争うためです。救急に関して、松波総合病院では自治体に救急車さえなかった昭和40年代に県内初の民間救急車を自前で走らせ、2014年には急性期医療に特化した北館の新築開設に合わせ、大動脈瘤や急性心筋梗塞、脳卒中に24時間対応できるハイブリッド手術室などを増設し、ヘリポートも完備しました。また、2025年4月には救命救急センターにも指定されています。岐阜県の民間病院では初となるものです。がん診療に関しても2024年4月に厚生労働省から地域がん診療連携拠点病院に指定されました。2つとも指定を受けた私立病院は日本に12しかなく、松波総合病院の特色が表れていると考えています。
介護においても、昭和40年代岐阜県で初めて老人健康保険施設を設置したのは松波総合病院です。在宅と特別養護老人ホームの中間を受け持つ施設で最上位の認証を得ています。最近では、在宅診療も始めました。大病院では珍しい取り組みです。私自身も医師として在宅診療に関与し、患者さんやご家族にとって、いかに重要な役割になっているかを体感しています。
こうした高度な医療や介護を提供するには人材の確保が欠かせません。特に医師の確保については理事長の仕事です。手術支援ロボット「ダビンチ」の導入など新しい医療技術の積極的な活用に加え、岐阜県内外の先生とコンタクトを取ることで、松波総合病院を支える医師たちを迎え入れたいと考えています。看護師は業界全体で不足している状況で、自ら看護大学を開設し、卒業後も地元で働ける体制を確保することが理想と考えています。
分散ではなく集約で効率のよい医療を
かつて美濃の国と呼ばれたエリアである岐阜、中濃、西濃の3つの医療圏の異なる法人(蘇西厚生会、美濃市、海津市医師会)が連携し、一般社団法人美濃国地域医療リンケージという法人を設立されました。
少子高齢化が急速に進む社会において、病院やそのスタッフは分散ではなく集約を目指さないと効率のよい医療は提供できないと考えています。米国の医療水準は日本と比較して高い印象があるかと思いますが、実際には人口に占める医療従事者の割合は日米でほぼ変わりません。違いとしては、日本は病床数が圧倒的に多い。つまり医療が分散され効率が悪いのです。私は1990年前後にオーストラリアのブリスベンに留学していたことがありますが、80万人ほどの人口にもかかわらずコンピューター断層撮影装置(CT)は20台、磁気共鳴断層撮影装置(MRI)は2台しかありませんでした。近隣に総合病院が複数ある日本と異なり、ブリスベンでは脳外科や整形外科を担当する病院、呼吸器科や循環器科を担当する病院、小児科を担当する病院、というように病院間の役割分担が徹底され、病院間を患者・スタッフが移動することで、まるで地域全体が総合病院であるかのように機能しているのです。美濃国の医療リンケージにおいても、物品の共同購入や空き病床を生かしたペットと一緒に入院できる病室の開発など、成果は生まれています。急性期から回復期、慢性期などにおいて得意とする機能を生かした連携を強めたいと考えています。
松波総合病院は、地域災害拠点病院の指定やDBJのBCM格付の認証を取得しています。防災力の向上に対する思いや取り組みをお聞かせください。
電力や水道といったライフラインが災害によって寸断されるのは、医療の提供において大きなリスクです。そのため、電力は自家発電を備え、設備を動かす重油も貯蔵していますし、水の確保は木曽川からポンプで給水し浄水設備でろ過する備えもあり、敷地内にある井戸水を使用することもできます。また、災害時には通常通りの物資調達ができなくなることから、有事の際に物品を優先的に供給してもらえるよう、関係する企業10社以上と協定を結んでいます。また、事業継続という点で病院でも懸念されるのはサイバーリスクへの対応です。もともと医療システムを自前で開発していた経緯から今でもITシステム管理は内製化し、定期的なデータバックアップや脆弱性診断などのIT-BCPに注力しています。最近では職員への教育として標的型攻撃メールに対する訓練も病院全体で行っています。
DMAT(災害派遣医療チーム)の派遣にも積極的です。能登半島地震の際もいち早く派遣しました。災害時医療は国主導のDMATのみならずJMAT(日本医師会災害医療チーム)やAMAT(全日本病院医療支援班)があり、いずれも率先して協力し、地域外での医療提供にも貢献しています。こうした災害医療のためには普段からの訓練が大事です。2025年11月にも100名規模の訓練を行ったばかりです。道路や電力といったインフラが寸断された状況では、医療もアナログな方法しか頼りにならない事態が想定されています。物資はリアカーやボートで運び、カルテも手書き。まさに戦後の逼迫した記憶の伝承は災害医療にもつながるのです。災害時に何をすべきか、病院としての知見を地域全体に波及させるべく、地域の学校での災害教育も大事な使命です。

2025年11月に実施された災害医療訓練の様子
(写真提供:社会医療法人蘇西厚生会 松波総合病院)
今後の事業の展望をお聞かせください。
医学と医療、医業は似た言葉のように聞こえるかもしれませんが、大きく違います。分かりやすく例えれば、胃潰瘍の際にH2ブロッカーという薬剤が有効だと学ぶのが医学、それを知識で終わらせずガスターという薬品で実際の治療に結びつけるのが医療、一連の行為を事業として成り立たせるのが医業です。大学の医学部で学ぶだけでは医療や医業は身につかないですし、病院として医学や医療だけに集中していては病院経営の存続という医業が疎かになってしまう。私としては医学と医療、医業がいずれもまっとうな行為として同心円状に重なり合う姿が理想だと考え、松波総合病院での高度医療・災害医療の提供を通じた地域への貢献と、それを事業として成立させるための新しい挑戦を続けていきたいです。政府系金融機関であるDBJから融資を受けていることは、まさに医学・医療・医業が両立し、持続ある地域医療体制を築いていることへの評価であるとして、誇りを感じるとともに励みになっています。

インタビュアー:
株式会社日本政策投資銀行 東海支店
支店長 高橋 耕司 (写真左)
業務課 副調査役 徳永 紗彩(写真右)
松波 英寿 先生
MATSUNAMI Hidetoshi
理事長 医学博士
1981年東京医科大学医学部卒業。岐阜大学医学部第一外科などを経て、89年Princess Alexandra Hospital(オーストラリア・ブリスベン)Transplant Fellow、90年同Senior Transplant Fellow。96年松波総合病院副院長。2001年から松波総合病院理事長。2012年より羽島郡医師会会長、2019年より全日本病院協会理事、2022年より岐阜県病院協会会長、2023年より日本病院会理事をいずれも現任。また、信州大学・岐阜大学・朝日大学その他多数の客員教授・講師を務める。

この記事は季刊DBJ No.58に掲載されています
季刊DBJ No.58