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SPECIAL INTERVIEW

DBJを知る

DBJで描くキャリア

DBJで築けるキャリアとは?
成長の先にどのような世界が見えるのか?
04

TAKEO KITAMURA

北村 毅生【写真右】

ストラクチャードファイナンス部 企画審議役 ※取材当時

1999年入行。本店・支店での法人営業、米国留学、英国現地法人駐在など、幅広い経験を積んできた中でも一貫して仕組み金融に携わり、専門性を深めてきた。まだ新しく課題も多いインフラ分野に、自分のやるべきことがあると感じている。特に今後は、DBJにとって比較的歴史の浅い海外業務での競争力強化に力を入れていきたいと考えている。

AYA SAKAI

酒井 彩【写真左】

人事部 副調査役 ※取材当時

2017年入行。不動産ファイナンスに従事した後、北海道支店で観光業界向け法人営業を担当。2020年に英国現地法人へトレーニーとして出向し、欧州再生可能エネルギー分野の投融資業務に携わった後、2021年より現職。就職活動時に出会ったDBJ職員が皆、仕事に対して情熱を持って向き合っていたことから、このように尊敬できる人たちと一緒に働きたいと思ったことが入行の決め手に。

DBJの海外拠点
グローバルの最前線で

酒井 本日は、DBJで描けるキャリアイメージについて、お話を伺いたく思います。

北村 なかなか改まって話す機会もないから緊張するけれど、よろしくお願いします。

酒井 私がDBJ Europeにいた頃、北村さんと一緒にお仕事をしていました。当時エネルギー・運輸交通等その他インフラ・航空機ファイナンスの3つのチームを率いるヘッドとして、北村さんは瞬時に的確な判断をされていたのが印象に残っています。

北村 ちょうどコロナ禍で、あの頃は大変でした。酒井さんは難しい環境下でもいつも前向きに真っすぐに取り組んでくれましたね。当時は特にコロナによる大きな打撃を受けた交通インフラセクターで、対象プロジェクトが契約で定められたパフォーマンスを達成できないような状況でした。過去に類のない事態にいかに対処するか、プロジェクト関係者と協議・交渉する日々でした。

酒井 そうでしたね。私が担当していたエネルギーセクターでも、コロナ禍で発電所の建設現場にスタッフが向かえないなど、未曽有のトラブルへの対応に追われていて。

北村 当時の思い出話は、始めたらキリがないね(笑)。

画像:北村 毅生

自分で構想し、
最後までやりきる経験を
積んだ若手時代

酒井 では早速本題に入ろうと思いますが、入行から20年を超えた北村さんの視点からは、どのような景色が見えているのでしょうか。まずはこれまでどのようなキャリアパスを歩まれてきたのか、お聞かせください。

北村 もうずいぶん前のことになりますが、私が入行したのは1999年。いまのDBJが誕生した年であり、入行直後に配属された財務部では新たな金利体系をつくり上げる経験をしました。入行3年目からはプロジェクトファイナンス部事業再生推進室(現企業投資第1部)に異動となり、事業再生ファイナンスの立ち上げに白紙の段階から関わりました。当時の日本にはまだ事業再生のスキームがほとんどなかったので、DBJですでに導入していたプロジェクトファイナンスの考え方を応用し、事業再生に資する新しい金融手法を日本で確立しようとするものです。入行直後から、まったくの新たな試みに複数携わってきたことで、未知なる分野へも臆せず踏み出せる素地ができました。
※プロジェクトファイナンス:ストラクチャードファイナンス(仕組み金融)の一種で、対象プロジェクトのキャッシュフローに依拠したファイナンス手法

酒井 いきなりプロジェクトファイナンスの応用編から入られたのですね。その当時、いまの私より若い年次の北村さんがチームの中でどのような役割を担い、どういった経験をされたのかが気になります。

北村 そのチームには、新しいことを生み出すために先陣を切って突き進める人たちが集まっていました。私はその末端のポジションだったので、怖いもの知らずで、いま思うとかなり無理なことにも挑みました。

酒井 若手だからこそ、自由な発想ができるという面もありますよね。

北村 チームの一員として、責任ある立場を知らぬがゆえに言えたことやできたことも多かった。いまだったらあれこれと難しく考えすぎてしまうかもしれない。ただ、この立場に立ったからこそ言えるのは、若手のそうした積極性、思い切りの良さを、上司は期待しているのだということです。

酒井 北村さんはその次に中国支店に行かれました。支店は若手の登竜門とも言われますが、印象深い案件はありますか?

北村 支店では、その地域では初めてとなるファイナンス手法を、主担当者として実行する機会に恵まれました。細かいことにも優先順位をつけ、周りを巻き込みながら、限られた時間内で最後まで仕上げる。そういうことをこの段階で経験できたのは良かったと思います。この案件は地域で初めてということで地方紙に取り上げていただいたりしましたが、こうした「目立つ案件」だけでなく、どのような案件も程度の差はあれ最後までやりきるのは簡単なことではありません。主担当者としてそれを背負ってやり切る、そのような経験は業務の種類を問わず決定的に重要です。それを初めて経験できたのが、私にとっては支店でした。

酒井 私も北海道支店で、同じような経験をしたことがあります。社会人2年目の私が、お客様の事業計画の素案を一から作成してお渡ししたところ「家宝にします」とおっしゃってくださって。

北村 良い仕事をしましたね。自分で構想して最後までやり切る力は、若手のうちからぜひ身に付けておいてほしいと思います。ちなみに、先ほどのファイナンス手法とは、エグジットファイナンスという早期の事業再生を支援するもので、完了の暁にはお客様から「再生会社」というレッテルが剥がされることでもあります。業務を終えた時、お客様が「いま初めてこのファイナンスの意義を感得した。」とおっしゃいました。自分でやり切ったという手応えを、お客様から実感させてもらったというのも得がたい経験でした。

酒井 お客様から直接そうした言葉をいただくことで、私たちが自らの業務の意義に改めて気付かされるということもありますよね。

北村 そうですね。その時、その場所で、獲得できる知見やスキルを身に付けていくことはとても大事なことですが、お客様のために活用できてはじめて、意味のあるものだと言えるでしょう。

画像:北村 毅生 酒井 彩

スペシャリスト対ゼネラリスト
二項対立では語れない時代に

酒井 北村さんがDBJで築かれてきたキャリアは、学生時代や入行当初に思い描いていた通りのものでしょうか?

北村 社会的意義を常に意識できるような仕事がしたいというのが入行動機でした。学生時代に金融を学んでいたわけではなく、どちらかというと金融というよりパブリックセクターや政策に関心が高かったのですが、入ってみて見えてきたのは想像とは違う景色。世の中への問題意識は唱えるだけでは、何も解決しない。財務部と事業再生を経験して、金融を手段に用いてビジネスを遂行していくことの重要性を感じました。

酒井 お客様や社会の課題解決を考える時、お金の問題は必ず付きまとう。この現実的な問題を乗り越えないと何も前に進まないということですよね?

北村 そうです。事業が回るからお金が循環するというのが金融の基本メカニズム。ビジネスケースとしてきちんと回っていくかどうか、非常に冷静な見方が常に求められる。難しい課題に対処するには当然高い専門性も求められます。

酒井 多様な経験を重ねてこられたいま、北村さんはご自身の専門性についてどう考えていますか?

北村 専門性にもいろいろあり、DBJには特定の産業セクターを深掘りし確固たる立場を築いている方もたくさんいますが、私の場合はストラクチャードファイナンス(仕組み金融)を軸にしながら、DBJならではの経験を経て自分独自の肉付けをしてきたように思います。キャリアの前半は先に述べた事業再生ファイナンスの立ち上げから始まり、LBOなどを含むコーポレート分野の仕組み金融に主に携わりました。具体的な案件としては、航空会社の事業再生、東日本大震災直後の電力会社向けファイナンスなど。その後、電力業界に関わったことを契機として、ここ10年ほどは発電プロジェクトなどによく用いられるプロジェクトファイナンスに携わるようになり、いまは再生可能エネルギーなどのインフラ分野を中心に取り組んでいます。

酒井 ひと口にストラクチャードファイナンスと言っても、様々な種類を経験されてきたんですね。

北村 そうですね。プロジェクトファイナンスにはリスク評価・対処の枠組みとして一種の確立された体系が存在します。こうしたプロジェクトファイナンスでずっと経験を積み専門分野を深めるキャリア形成もありますが、私のキャリアのようにコーポレート分野で培った知見を掛け合わせながら、既存のプロジェクトファイナンスの概念を派生・発展させることで獲得していくような専門性もあります。

酒井 その場合、どのようなメリットがあるのでしょうか?

北村 昨今、インフラの定義が広がり、典型的なプロジェクトファイナンスだけではなく、コーポレート向けファイナンスの要素が入ってくる案件への対処がアドバンテージにつながる場面もあります。どのキャリアが正解というような単純なものではありませんが、異なる実務経験に基づき、有機的に解決策を生み出せる人材だからこそ提供できる価値、貢献の仕方はあると思います。

酒井 いまは不確定要素の多い時代です。不確定だからこそ、早期にスキルを獲得して安心して働きたいという志向の学生さんが多いように感じています。

北村 どのような仕事でも専門性が必要であることは間違いない。スペシャリストとして第一線のレベルに達することは必須であり、しかも簡単なことではありません。と同時に、スペシャリスト対ゼネラリストのような二項対立ではキャリアを語れない時代にもなってきていると感じます。

画像:北村 毅生 酒井 彩

DBJでのキャリア形成
確固たる専門性の「軸」に、
柔軟な姿勢で独自の肉付けを

酒井 DBJでは多様な経験を積むことでキャリアをつくり上げていきます。その結果、北村さんのキャリアが示すように、応用力のある専門性が身に付けられるということですよね。

北村 一様ではありませんが、早くから専門性を狭く捉えて固執しすぎると、自らの可能性の芽を自分の手で摘み取ることになりかねない。伝統的に、長期的なキャリアゴールから逆算して最短でそこに到達できるよう、必要なスキルセットを積み上げるというアプローチがキャリア形成にとって望ましいという考え方があります。私も15年以上前にビジネススクール受験に際してそう意識づけされましたが、そのようにシンプルに捉えるのが難しくなりつつあります。

酒井 それはどうしてでしょうか?

北村 例えば、前述の通りインフラ向けファイナンスもその定義が急速に変容し、コーポレート向けファイナンスの要素が価値提供の源泉になるような環境変化もすでに生まれています。将来の話として一つ具体例を挙げると、カーボンニュートラルのカギを握るといわれている水素、その導入に必要となるファイナンスをどう組み立てるかはインフラ向けファイナンスでも重要なテーマです。従来のプロジェクトファイナンスのアプローチも有力とされ各方面で議論が進められていますが、未成熟な領域であるため、必ずしもフレームワークが当てはめられないケースも出てくるかもしれない。コーポレート向け投資の手法が必要とされる可能性もある。するとその場合は金融手法だけではなく組織マネジメントの問題も出てくる。

酒井 なるほど。ゴールから逆算しようと思っても、変化の激しい世の中においては、その目指すべきゴールが一意に定まらないわけですね。

北村 その通りです。将来が見通しづらいこのような環境にあって、「長期的なキャリアゴール」で必要になるものをあらかじめ逆算的に見通すことは難しい。自らが深めたい専門性、例えば私であれば仕組み金融ですが、その根幹にあるリスク分析の枠組みなどは基礎体力を構成するものとして大事にしながらも、その周辺にあるもの、場合によっては少し離れたところにあるように見えるものにも目を向け、柔軟に取り入れて肥やしにしていくような姿勢が今後ますます大切になってくるものと考えます。

酒井 確立された従来の手法を専門的に極めるよりも、DBJでいろいろな分野を経験する方が、結果的に時代の変化にうまく対応できる人材になれるということでしょうか?

北村 そこは個人の志向性にもよりますし、答えは一つではないと思います。繰り返しですが専門性は当然に兼ね備える必要がありますし、それを獲得したいという姿勢も大切です。ただ、そこで止まってしまっては何かを生み出すのが難しくなっているということだと思います。

DBJでの経験を思い返すと、その場その場で懸命に取り組んだことが次々にいろいろと結びついていったという感覚があります。例えば、事業再生・再編の分野で自分なりに頑張っていたからこそ、航空会社の再生案件チームに加えていただいたと思います。そして、航空会社案件の後はそこで築いた専門家とのネットワークや知見、過去の取り組みからの学びをもとに、新しい業務展開として航空機ファイナンス業務の立ち上げに関与しました。この時の経験が後にDBJ Europeで自ら主導した欧州再エネ戦略の策定に間違いなくつながっています。また、電力会社担当者として業界に関わり、震災後に導入された電力システム改革の中での金融の在り方を考えたことが、後にインフラ分野のファイナンスに携わっていきたいと思う契機になりました。

酒井 振り返るとすべてがつながっているように見えます。

北村 一連の経験のこうした有機的なつながりについて、ストラクチャードファイナンス・仕組み金融の分野を深めて貢献したい、という大きな軸のようなものは持っていましたが、決して逆算で考えていたものではありません。目の前のことに取り組む中で見えてきたもの、時には偶発的なアサインメントも大切にしながら歩を進めてきた結果のように思います。

酒井 変化の時代だからこそ差別化・価値提供のためには専門性を持ちながらも柔軟な姿勢が必要ということですね。

北村 そうですね。さらに言うと、視点、すなわちレファレンスポイントを多く持っていれば、物事を相対的に評価することができ、本質を見誤ることが少なくなります。例えば、私は国内では東京以外に中国地方・広島での、海外は欧州・ロンドンでの勤務を経験しています。欧州拠点はロンドンにしかなく、様々な国を訪れたり調べたりしましたが、改めて見ると広島のような規模や産業集積を持つ都市は欧州でもそれほど多くない。一方で規模や経済力で劣りながらも、独自の存在価値を発揮して国際的に認知されている都市もたくさんあります。そう考えると、日本の地域の発展の仕方にはもっと多様性があって良いと思えるし、経済力だけではなく文化や観光も含めたポテンシャルは大きなものがあるとポジティブに捉えることができます。東京を経ることなく地域がダイレクトに海外とつながることで大きな発展の可能性がある、とはよく言われることですが、それを肌で感じてある種の物差しを得ることができるのも両方で実際に勤務したからこそでしょう。こうしたレファレンスポイントを増やしていくことの重要性は高まると考えています。

画像:北村 毅生 酒井 彩

若手へのメッセージ
DBJという組織を
「レバレッジ」にして、
個々人が世の中に
インパクトを与える

酒井 それでは最後に、マネージャーという立場から、若手にはどうあってほしいか、お考えをお聞かせください。

北村 若い人たちと仕事をすると、皆さん成長意欲が非常に強いことを感じます。それはとても良いことで、就職活動に際しても「自分がいかに成長できるか」の視点は大切だと思いますし、DBJもそのような問題意識に応えていく必要があると思います。それは一人ひとりの成長のためでもあり、その結果としてのDBJの成長のためにも。ただ、「成長」にはいろいろな側面があるため、あまり狭くは考えないでほしい。これまで述べてきたように、定義や概念自体が短期間に変容するような時代には、特定の分野に精通することのみをもって「成長」と捉えて満足するのではなく、アンテナを高く、視座も高く、「成長」というものをもっと広く捉えてほしいなと思っています。

酒井 その成長を実現するうえで、DBJというフィールドについてはどうお考えですか?

北村 DBJの特徴の一つとして、人員規模がそこまで大きくなく、マネジメントから現場までの距離が近いこともあって、一人ひとりの顔が見える組織ということが挙げられます。その一人ひとりも、周りのメンバーを巻き込んだり巻き込まれたりしながら、案件や組織を自分が実際に動かしていることを実感しやすい。そしてDBJは世の中でユニークな存在であって、独自の形で世の中と関わっています。つまり、DBJという組織をレバレッジ(テコ)として活用することで、個々人も世の中と独自の関わりを持ち、時には大きなインパクトを与えることが実感できます。

酒井 たしかに、一個人の力だけでは到底成しえないようなことも、DBJを介すことで実現できたりしますよね。

北村 私個人の経験を振り返っても、前述の通り中国支店で担当した案件が同地域初として注目されたことは励みになりましたし、航空会社や電力会社の案件では世の中の関心が高く、連日マスコミに報じられる中で自分たちの動きが様々な影響を与えてしまう緊張感も味わいました。震災後の電力システム改革でのファイナンスの在り方を巡っては省庁の方と議論を交わしたことが実際の政策にも反映されるような手応えも感じました。すべての仕事がここまで直接的ではないにせよ、DBJという組織を間に挟んで、時にはそれをレバレッジにして、個人が世の中とつながり、時に影響を及ぼすことができる。その当事者になりたい、あるいは組織の一員となって支えたい、そしてそうしたセッティングの中で自らを成長させたい、そのような想いを持っている人たちとぜひ一緒に仕事をしたいなと思っています。

酒井 いまの時代、情報があふれる中で、私自身もキャリアについて迷うことがあります。ですが、北村さんのお話を聞いて、DBJというユニークな組織を最大限活用して、まずは目の前の仕事にひたむきに、そして振り返った時に一本の太く長い自分の軌跡と、世の中との多数の交点が見えるように、日々精進していきたいなと思いました。今日はありがとうございました。