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INTERVIEW

DBJの人と仕事

資金運用難に直面している
国内の機関投資家に
多様な投資機会を提供する。

TOSHIKI UENO

上野 利樹

DBJアセットマネジメント(株)出向
海外不動産投資運用部長 ※取材当時
2001年入行

総合職|都市開発|アセットマネジメント

CAREER STEP
  • 1年目~

    国際部(当時)

    日本への拠点開設を企図する海外企業を顧客とし、投融資業務に従事する。

  • 3年目~

    プロジェクトファイナンス部(当時)

    大型商業施設の開発をはじめ、国内における不動産のプロジェクトファイナンスを手掛ける。

  • 5年目~

    南九州支店

    営業担当者として、鹿児島県・宮崎県の地場のお客様に対し融資を提案、実行。地元企業の経営者と密な関係性を築く。

  • 7年目~

    英国ロンドンビジネススクール留学

    行内公募に手を挙げて1年間留学。ファイナンスの理論を学び、これまで経験した実例を再整理する機会に。

  • 8年目~

    アセットファイナンス部

    金融危機の最中、不動産のリストラクチャリング案件を中心的な立場で遂行。

  • 14年目~

    DBJアセットマネジメント(株)出向

    新たな不動産投資商品の立ち上げに取り組む。

  • 15年目~

    ニューヨーク駐在員事務所(当時)

    米州地域の不動産ファンド投資、航空機ファイナンスのサポート、事務所の
    米国現地法人化事業等を担う。

  • 18年目~

    不動産投資顧問会社の米国本社出向

    トレーニーとして8ヵ月間シカゴへ赴き、不動産ファンドビジネスを実地で学ぶ。

  • 19年目~

    DBJアセットマネジメント(株)出向

    海外不動産投資運用部を束ね、投資戦略の立案・実行並びに投資家対応の最前線に立つ。

向き合うテーマ:アセットマネジメント

1,800兆円を超える家計金融資産や400兆円の年金資産などを擁する資産大国である日本では、人口減少や高齢化が進む現在、これら国民の富を安定的に増大させていくことが重要課題ともなっている。しかし、国民の金融資産を預かる銀行や年金基金などの国内機関投資家は、日銀のマイナス金利政策等を背景として運用難の環境にある。このような機関投資家のお客様に新たな投資機会を提供することを通じて、日本の金融市場の発展に寄与することが、DBJ100%出資の資産運用会社であるDBJアセットマネジメント(株)である。

後ろ向きの案件を
前向きに変えていく、
リストラクチャリングに心血を注ぐ。

―― これまでのキャリアで特に印象に残っていることは?

アセットファイナンス部に在籍中、リーマンショックが発生したのですが、その際に経験したことが、私のキャリア形成の中でも貴重な財産となっています。当時、世界的な金融危機の影響を受けて、本源的には高い価値が期待できるにも関わらず資金調達に支障が生じるなど、価値を大きく毀損する不動産が続出していました。そんな状況の中、私はファイナンスを組み替えることで、不動産価値が毀損した後ろ向きの案件を前向きなものへと転換する、大型のリストラクチャリング事業に数多く携わりました。中でも、日比谷公園に隣接する新生銀行旧本店ビルの再開発プロジェクトは、今も印象強く残っています。

―― 再開発する以前は、どのような状態だったのですか?

1993年に造られたこのビルは、2008年3月に外資系のファンドに取得され、不動産の流動化という手法によって複数の投資家に証券が販売されていたのですが、金融危機によってデフォルト(債務不履行)の危機に直面していました。そして、新生銀行が本店移転のため退去した2010年以後は、後継のテナントが決まらない状態となっていたのです。このような事態を受けて、金融危機以前からメザニンファイナンス(融資と投資の中間的な金融手法)を通じて、同物件に関与していた私たちDBJがリストラクチャリングに着手することになりました。しかし、そもそも日本にはこのように大型の不動産流動化案件をリストラクチャリングした事例が少なく、手探り状態での船出となりました。

―― どのような解決策を講じたのですか?

そのビルは、建物の構造的に複数のテナントに賃貸することが難しく、有効活用するためには、建て替えを行う必要がありました。しかし、それには新たな資金の拠出が避けられませんでした。DBJ内では、価値が毀損している物件に追加で資金を投じることに対して慎重論もありましたが、私たち担当メンバーはそれまでの経験も踏まえ“うまく仕上げることで必ず新たな価値を生みだせるはずだ”と考えていたのです。裏付けとなる分析も入念に実施して、関係者と議論に議論を重ねました。そして、私たちDBJは、デベロッパーとパートナーシップを組んで、ゼネコンの選定から建築・設計、リーシング業務等まで、この事業を自ら主導していったのです。「日比谷パークフロント」の名で竣工し、ハイグレードオフィスビルとして生まれ変わった建物は、現在、高稼働の状態にあり、感慨もひとしおです。

画像:上野 利樹

最適な投資を続けながら、
投資ビジネスのフロンティアを拓く。

―― DBJアセットマネジメントでは、どのような仕事を行っていますか?

当時、DBJ内部では自己資金による投資だけでなく、外部投資家の資金をお預かりして運用をする不動産アセットマネジメント業務をさらに推進していくべき、との機運が高まっていました。それは、株式や債券といった伝統的資産への投資が中心であった、国内金融機関や年金基金といった機関投資家のお客様に対して、DBJが自らの投融資を通じて養った目利き力を活かし、新たに海外不動産投資やインフラ投資などの非伝統的な資産への投資機会を提供するものです。そこで、DBJアセットマネジメントに出向した私は、それまでの経験を活かしながら、海外不動産ファンド投資部門の立ち上げに携わりました。具体的には、北米を中心に欧州・豪州を含めた国々の不動産ファンドを見極めて選別し、各投資家のニーズに合った最適なポートフォリオを構築して、長期の運用を行っています。

―― ファンドを見極める目は、どのように養ってきたのですか?

米国には、不動産ファンドを組成している会社が数多くあり、それぞれのファンドマネージャーが多種多様な投資戦略を展開しています。私が投資判断を下すことができるのは、これまでのキャリアを通して不動産投資に関する力を養ってきたからに他なりません。DBJ本体にいた時は、各種の不動産ファイナンスを通じて、個別の不動産がいかにキャッシュフローを生み出すかを学びました。ファンドというのは個別不動産の集合体であり、その当時に培った知識が現在の業務のベースとなっています。また、世界有数の不動産投資顧問会社の米国本社へ出向した際には、同国におけるファンドの投資手法やアプローチ方法を現地で学びました。ニューヨーク駐在中には米国の主要都市へ足を運び、オフィスやレジデンス、商業・物流施設など数多くの現場を視察して回り、現地のマーケットを肌感覚で掴んでいきました。さらに、私が個々の物件に入るテナントをイメージできるのは、かつて南九州支店に勤務して幅広い業種の企業を担当した経験があるからです。

―― 今後の展望について教えてください。

私は、不動産投資分野のスペシャリストとしてキャリアを重ねてきましたが、今後は大きく分けて2つの展望を考えています。1つは、今目の前にいる投資家様のニーズに適うポートフォリオを着実に積み上げていくこと。今後も、さらに欧米のファンドマネージャーとのネットワークを拡大し、優良な投資機会を探し続けていきたいと考えています。そして、もう1つはファンドとは異なる分野への投資です。DBJグループ全体での不動産ビジネスを俯瞰して、現状は未開拓の、海外の名高い投資家と資金を出し合うクラブ型の個別投資や、世界的な機関投資家との共同投資を実現してみたいと考えています。こういったチャレンジをすることで、DBJの次なる投資ビジネスのフロンティアを開拓していきたいですね。

画像:上野 利樹